小原聖子のひとり言

スペインで過ごしたときのことやギターの事を思いつくままにつづる日記です

ひとり言=スペインでの思い出や、私の知っている日本のギター史や、ギターに関する色々なことを書き綴ってっていこうと思います。
拙い文ですがお読み頂けるとうれしいです。
お気軽にコメントもお寄せくださいませ。宜しくお願いいたします。

TVで移住の特集をしていました。
山羊のチーズを作っている若者の話でした。
美味しい草を手で刈って食べさせ、大切に山羊を育て、レストランのシェフ達が買い付けに来る様な、チーズを作れるまでの苦労がえがかれていました。

余りにいい感じの若者だったので、ついみてしまいました。

試しに食べて貰い、売れることが決まってホッとした彼に、この先どういう風になりたいですか?とアナウンサーが聞いたら、暫く考えて「生きる」を続けますと答えていました。

何という、中味の詰まった重たい、言葉でしょう!



現役の演奏家だった頃の話です。

私は大事なコンサートの前の一週間は、一日の練習はプログラムを一回通すだけでした。
本番通りにです。

昔の生徒で、、ロス.マホスという男性ギター3人組のグループで大活躍した人たちがいました。

何とそのウチの一人が講談師になり、藤瀬琴龍という、その世界で中々の有名な人になりました。
その人が講談をする時に、私に昔、一日一回と言われたことを、実践していると話してくれました。

本番通りに一回をやり遂げるということ!



あら大変!!責任重い!と思っています。


孫娘が高校に入りました。
先日来ての報告です。

「一生懸命早起きして毎日学校行ってるよ、凄い成長したよ。」
「そうか、凄いね、偉いね、どんな風に??」
と聞いたら、「歌が上手くなったよ。高い声がどんどん出るの」と魔笛のアリアや、イタリア歌曲を歌ってくれ、

週五でダンス部の練習があるんだと、踊ってくれ、
ねー、成長したでしょー、凄いでしよう!と言います。


確かに!!!
今までやれなかった事が、出来る様になった!と、たのしい話です。


いやはや、 なんだか私の少女時代と同じ!


これも責任を感じてしまいます



息子の同級生に.、著名な森田曠平さんという日本画家の孫娘がいて、その娘曰く、家族中が何代も何代も絵描きさんだそう、

他の職業には付けない位、生きる方向が美術だそうです。


此れも又大変なお話しですよねー



坂東玉三郎さん、絶対に観ておかなくてはいけないと思いながら、未だ観ていなくて、少々焦っています。

彼曰く
「天から見られているので、生真面目に足りるところ、足りないところ、そのまま、ありのままにやっています。

伝統は積み重ねのみ。

歳を取る事に逆らわない。
引き時をいつも考えています。

然し向上したい、ちゃんとしたいと思って生きています。」

ですって。

もう、本当に極限にまでちゃんと生きている方なのですね。

極めつけ  
、生まれ変わっても、坂東玉三郎になりたいですか?と聞かれて、

生まれ変わりたく無いです、。。。と答えていらっしゃいました。

私はこの答えを聞いて、シーンとした気持ちになりました。
どうしよう、どうしよう、!!!!



追記、

藤瀬さんの講談を聴いた方の感想、
何か、違うのですね、引き込まれます。凄くよいのです!

藤瀬さん曰く
ギターを弾いていた時の、音楽のつくり方と同じなんです。
間とか抑揚、エネルギーの持っていき方、音色の変化等々。
音楽をやっていた事が本当に役に立っています!
   

これは嬉しい話でした。^_^

今年、CD付きの、ブログをまとめた、本を出しませんかという、お話をいただきました。
それで、長男お嫁さんの織里ちゃんと、ラインで校正をし始めています。

織里ちゃんは日本文学に精通していて、尚かつ、のびのびした、楽しい文を書く人〜
いつも本を書いたら良いのに、と私は言っています。

今回は、私のとんでもない文章をわかり易い、まともで、正しいものに、テキパキと直してくれています。

先日のは、昔六本木のイタリア料理店、キャンティによく行った話の所で、「わぁ.私の家でもよく行きましたぁ!」と、おるりちゃんも懐かしそう。

それからは、次から次へと思い出す事ばかり!

人脈図が出来るくらいの、繋がりがあります。

先ず、ここのオーナーだった川添さんは、父の仲良しだった、ピアニストの原智恵子さんのご子息、お父様の浩史さんはキャンティの創業者。

原さんは、後、チェロのG.カサドの奥様になられ、セゴビア先生とも深い交流がありました。

お兄さんの方の象多郎さんは、以前はフラメンコギタリストで、フラメンコダンサーの長嶺ヤスコさんの伴奏者、
マドリードの公演では、いつも観にいきました。

日本に帰ってきた後はプロデューサーとして、YMOを世界に売り出した人になりました。


そして象ちゃんの仲間で、キャンティで毎晩ギターを弾いていた、伊勢君は一時期私の生徒でした。
一緒に習いにきた、羽根田君は「石亭」という旅館を手広く経営していた人、

伊勢君の生徒の、、何処に行くにも、いっつも付いていた、今は盛岡で活躍している、伊藤隆さん
、奥様の恭子さんも音楽家でfbによく投稿されている方、


キャンティでは、沢山の人と会いました。

ヤスコさんと食べに行った時は、
伊丹十三さん、前の奥様の東和映画の川喜多和子さん、
黛敏郎さん、奥様の桂木洋子さん、がいらしていて、皆んなで黛さんの家で二次会をしようと行きました。

そしてヤスコさんが踊る事になり、フラメンコ用の板が欲しいと。

黛さんがそれなら、僕の譜面台大きいし 丁度良いよと置いてくれました。


象ちゃんがバラバラとラスゲアドを弾きだし、皆んなは、すっかりスペインのタブラオに行った気分!
ヤスコさんの柔らかい手の動きに見とれ〜〜
、右脚が譜面台を打ちつけたその一瞬、

一撃で、豪華な譜面台はグシャッと真っ二つに割れていました!


黛さんの情けない顔!  忘れる事ができません。


他の日、
キャンティに行ったときは、安井かずみさん、加賀まりこさんもいて、象ちゃんのお父様も一緒に、羽根田くんの招待で、渋谷の「石亭」に行きました。


まあ!お父様は、 真のダンディとはこういう人のことねー と加賀まりこさんとダンスをしている姿を見て、思いましたよ。


そして長い年月が経ったある日、

YMOのライブに息子達のバンドが前座で出ることになり、みに行きました。
久しぶりに皆んなに囲まれている、象ちゃんを見ました。

全くお父さんと瓜二つになった象ちゃんでした。

今はもう会えない所に行ってしまった、方達ばかり!
哀惜の思いでいっぱいです。


追記
ご縁はまだ続いていました。伊丹十三さんのご長男と私の息子は中、高校の同級生、

伊丹さんと荘村清志ちゃんとは、従兄弟同士なのは皆さんご存知ですよねー


毎日の練習が難しい。
体力、爪、多分頭の問題も。
若い時と大分違う。

だけど、めげずに、練習しています。
自分の身に合った曲を弾きましょう! と決心しました。
然し人間的な演奏をするという思いは変わらずに。

父も晩年は、気に入った小品をじっくりと、弾いていたなあ。と。

私の希望は色んな国の音楽学校のギター科にもぐりこんで、レッスンを聴いて回りたい、そして、もしもし可能なら生徒になって、授業を受けたいな!という事!
色んな国が大変そうなら、せめて、スペインの音楽院を聴いてまわりたいな。
絶対たのしいでしょうねー


そういう事でYouTubeでスペイン語の勉強を始めました。
面白いのは、(エスパニョール、コン、ホァン)というホアン先生のビデオ。
アンダルシア男まるだしの、身振り手振りが激しく、ユーモアたっぷりに喋りまくる愉快な先生、いつも笑いながらみています。



明日は出来たら朝、温泉♨️へ行っておはらしょうすけさん、したいな。
帰ってきて、ノン、アルコール🍺🍺を飲みますよー



このページのトップヘ