今年、CD付きの、ブログをまとめた、本を出しませんかという、お話をいただきました。
それで、長男お嫁さんの織里ちゃんと、ラインで校正をし始めています。

織里ちゃんは日本文学に精通していて、尚かつ、のびのびした、楽しい文を書く人〜
いつも本を書いたら良いのに、と私は言っています。

今回は、私のとんでもない文章をわかり易い、まともで、正しいものに、テキパキと直してくれています。

先日のは、昔六本木のイタリア料理店、キャンティによく行った話の所で、「わぁ.私の家でもよく行きましたぁ!」と、おるりちゃんも懐かしそう。

それからは、次から次へと思い出す事ばかり!

人脈図が出来るくらいの、繋がりがあります。

先ず、ここのオーナーだった川添さんは、父の仲良しだった、ピアニストの原智恵子さんのご子息、お父様の浩史さんはキャンティの創業者。

原さんは、後、チェロのG.カサドの奥様になられ、セゴビア先生とも深い交流がありました。

お兄さんの方の象多郎さんは、以前はフラメンコギタリストで、フラメンコダンサーの長嶺ヤスコさんの伴奏者、
マドリードの公演では、いつも観にいきました。

日本に帰ってきた後はプロデューサーとして、YMOを世界に売り出した人になりました。


そして象ちゃんの仲間で、キャンティで毎晩ギターを弾いていた、伊勢君は一時期私の生徒でした。
一緒に習いにきた、羽根田君は「石亭」という旅館を手広く経営していた人、

伊勢君の生徒の、、何処に行くにも、いっつも付いていた、今は盛岡で活躍している、伊藤隆さん
、奥様の恭子さんも音楽家でfbによく投稿されている方、


キャンティでは、沢山の人と会いました。

ヤスコさんと食べに行った時は、
伊丹十三さん、前の奥様の東和映画の川喜多和子さん、
黛敏郎さん、奥様の桂木洋子さん、がいらしていて、皆んなで黛さんの家で二次会をしようと行きました。

そしてヤスコさんが踊る事になり、フラメンコ用の板が欲しいと。

黛さんがそれなら、僕の譜面台大きいし 丁度良いよと置いてくれました。


象ちゃんがバラバラとラスゲアドを弾きだし、皆んなは、すっかりスペインのタブラオに行った気分!
ヤスコさんの柔らかい手の動きに見とれ〜〜
、右脚が譜面台を打ちつけたその一瞬、

一撃で、豪華な譜面台はグシャッと真っ二つに割れていました!


黛さんの情けない顔!  忘れる事ができません。


他の日、
キャンティに行ったときは、安井かずみさん、加賀まりこさんもいて、象ちゃんのお父様も一緒に、羽根田くんの招待で、渋谷の「石亭」に行きました。


まあ!お父様は、 真のダンディとはこういう人のことねー と加賀まりこさんとダンスをしている姿を見て、思いましたよ。


そして長い年月が経ったある日、

YMOのライブに息子達のバンドが前座で出ることになり、みに行きました。
久しぶりに皆んなに囲まれている、象ちゃんを見ました。

全くお父さんと瓜二つになった象ちゃんでした。

今はもう会えない所に行ってしまった、方達ばかり!
哀惜の思いでいっぱいです。


追記
ご縁はまだ続いていました。伊丹十三さんのご長男と私の息子は中、高校の同級生、

伊丹さんと荘村清志ちゃんとは、従兄弟同士なのは皆さんご存知ですよねー